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 2019年8月25日(日) 14:06 JST

「革命をプロデュースした日本人」の小坂文乃さん

  • 2011年2月 4日(金) 11:51 JST
  • 投稿者:
    Admin
ビジネス

 2009年に出版された「革命をプロデュースした日本人」という本がある。テレビなどでも話題になったこともあり、ご存知の方も多いだろう。台湾新聞では、2月3日、その著者である小坂文乃さんに、小坂さんが役員を務める日比谷公園内の「松本楼」でお話を聞いた。

 小坂さんは上品なイエローのスーツに、飾り気の無い爽やかな笑顔で現れた。真冬の午後の斜めの日差しが、公園の木々の影をレストランの一室の白いテーブルクロスの上に落としている。テーブルの上に添えられた花の入った小さなバスケットが印象的だった。

 小坂文乃さんが「革命をプロデュースした日本人」を書こうと思ったきっかけは、なんと映画制作だという。日本の映画界の黎明期を作った梅屋庄吉のひ孫に当たる文乃さんらしいエピソードだ。

 文乃さんのお母様が亡くなられたとき、家業のレストランとともに、孫文と深いつながりのあった日本人、梅屋庄吉の膨大な資料を、文乃さんが受け継ぐことになった。その資料を見ていて、どうしたものか、と考えていた2008年、ちょうど中国の胡錦濤国家主席が当時の福田総理大臣とともに、松本楼を訪れた。



  その福田首相が首相を退いた後、小坂さんが福田氏と話をする機会があり、そのとき、福田氏に「きちんと記録に残したほうがいい」と、助言をいただいた、という。そのとき、小坂さんは「日本と中国」について、梅屋の立場からの伝記映画を作りたい、と切実に思ったとのこと。

 しかし、映画を作るにはシナリオが必要だ。そのシナリオはどこかにあると思った。大学の先生とか、作家の方とかが、新会革命前後の記録文学などを書いているかもしれない、と思って探した。しかし、そのあたりのことを正確に記したものが無いばかりではなく、小坂さんにとっても、また日本と当時の中国の関係にも重要である「梅屋庄吉」の名前がわざわざ削られて「いなかったこと」にされている「論文」なども、その中にあったという。

 そこで、小坂さんは自分で、自宅に保存してある膨大な梅屋庄吉の残した手紙などの貴重な文献を元に、新たに「シナリオ」を自分自信で作ることを思い立ったという。「なければ、自分でやるしかない」。切実にそう思った小坂さんは、「革命をプロデュースした日本人」を書き上げた。

 小坂さんは昨年、中華民国政府の招きで台湾を訪れたとのこと。孫文の事跡の残るさまざまな場所を見たり、台北花博の会場を見学したり、鼎泰豊などに飲茶を食べに行ったとのこと。「でも、足裏マッサージとかも行きたかったけど、政府のご招待だったし、くだけた話ができるところにはちょっとしか行けなかったですねぇ。でも、梅屋の屋敷で使った孫文の遺品なども見られたし、大変に興味深いものをいくつも見せていただきました」。

 辛亥革命から100年、ということはどう思われますか?とお聴きしたところ、「やはり深い感慨があります。梅屋庄吉が生まれて100年めに私が生まれましたし、100年、というのは、歴史の上でも、なにかいろいろな節目として感じられるものがあると思います。いま、日本と中国、日本と台湾、台湾と中国、みんな揺れてますよね。しかもなにか割り切れない複雑さもある。こういうとき、日本と中国の100年、という節目のこの年に、原点に戻って考える、ということはとても大切なことなんだと思います。日本人ということでは、そこに、梅屋庄吉がいる、と思うのです」。

 孫文の死後も、梅屋庄吉は孫文との約束を守り、中国と日本のために駆け回った。時は日中戦争に入る直前。梅屋は「国賊」との謗りを受けながら、まさに身も心も日本と中国の両方の人々のために捧げ、そのさなか、志半ばにして帰らぬ人となった。梅屋の死後、日本と中国は雪崩をうったように、戦争へひた走る。そして、その日中戦争はやがて太平洋戦争の終わりまで尾を引き、日本にも中国にも大きな傷跡を残した。

 そんな歴史の狭間で、消えかかっていた「日本と中国の100年」に、小坂文乃さんの投じたこの本が、中国と日本と、そして台湾の関係をより良いものにしていくことを願う。

 インタビューを終えたあと、小坂さんは私を玄関先まで送ってくれた。松本楼の玄関の外も、なんだかいつもより暖かかった。今日は旧正月の「元日」だ、と思い出した。


日比谷公園の中の「森のレストラン」松本楼。一階の入り口には孫文の妻「宋慶齢」が弾いたというYAMAHAのアップライトピアノが展示されている。

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