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 2019年8月20日(火) 01:43 JST

国民党秘書長・金溥聰氏 白金に孫文の事跡をたずねる

  • 2010年9月18日(土) 16:13 JST
  • 投稿者:
    Admin


国民党中央委員秘書長・金溥聰氏と台北駐日経済文化代表処の馮寄台代表に説明する小坂文乃さん。

中華民国 国民党の秘書長・金溥聰氏と台北駐日経済文化代表処の馮寄台代表ら一行は、9月18日午前、東京.白金にある日比谷松本楼の創業者である小坂氏の一族の宅内にある、梅屋庄吉と孫文の事跡を展示した展示室を訪れ、孫文の残した多くの文書、そして、孫文のために一切を惜しまなかった映画会社経営者・梅屋庄吉氏の様々な資料を閲覧した。閲覧には、梅屋庄吉を曾祖父に持ち、現在上海万博などで梅屋庄吉氏を紹介する展示をプロデュースしている小坂文乃さんが説明役にまわり、孫文にまつわるさまざまな資料を引き出し、詳細な説明を行った。

現在中国などで展示されている孫文関連の資料のほとんどはこの資料館から貸出したり、レプリカを作って出したものだ。現在この資料館は個人的なもので一般公開はされていない。




展示館内での記念撮影

梅屋庄吉は、現在の金額にするとおおよそ1兆円とも2兆円とも言われる財貨を孫文の中国革命に投じ、孫文のみならず、孫文の周辺の宮崎滔天をはじめとしたさまざまな人達への援助を惜しまなかった。辛亥革命成ってしばらくすると、孫文が死去。その後、中国と日本は戦争へと突き進む。しかし、梅屋庄吉はそれでもアジアの革命を信じ、中国と日本の関係改善に奔走した。そのさなかの昭和9年、当時の外相・広田弘毅に日中関係改善の談判に赴く途上、駅で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

梅屋庄吉はその生涯において、自分が住んだ別荘以外の財産をほとんど残さなかったと言われる。その持ち得る財貨のすべてを中国を中心としたアジアの革命に捧げたからだ。

梅屋の死後、日本は泥沼の日中戦争にはまり込んでいった。来年はその辛亥革命から100年を迎える年である。

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余談になるが、小坂邸のすぐ目の前には広大な敷地の「服部ハウス」がある。その広大な敷地内に数件の立派な洋館が立ち並ぶ。ここは服部時計店の一族の土地であり、戦後はここをGHQが接収し事務をとった場所だ。ここで東京裁判の判決文が書かれ、ここで日本国憲法が書かれた歴史的な場所だ。この隣接した2つの屋敷の間に、怒涛の20世紀の中で翻弄された日本人の歴史に、なにかしらの感慨を覚えざるを得ない。

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